Noriaki Hattori | Draped Correctness

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服部憲明|Draped Correctness 
2018年3月30日(金)-4月28日(土)

 

インダストリアル・ペインティング

「ロックは死んだ/パンクは死んだ/ジャズは死んだ」。音楽におけるこのような文脈で言うなら「ペインティングは死んだ」のでしょうか? ゲルハルト・リヒターならずとも、ペインティングはたびたび総括され、またその都度様々な形でアップデートが試みられてきました。特に若い世代の多くのペインターあるいはアーティストにとって、ツールやメディウムの大胆な転換と、イメージを如何に支持体に定着させるかは、今最も重要な関心事のひとつとなっています。

日本では少数派ですが、服部憲明は、そうした新しいメソッドの絵画を探求するペインターのひとりで、オーソドックスな絵画から一転、2013年以降は明確な意図を持ってメディウムとツールの方向転換をしています。パソコンはもちろん、工業用のレーザーカッター、UVプリンタなど同時代のツールを用い、それはつまりウェイド・ガイトンなどに象徴される、人間の手を介さない、コンピュータの振る舞いとしてのペインティングです。メディウムをレーザーで焦がす/切る/削る。あるいはプリントした複数のイメージをオーヴァーラップする。再び音楽を例にとれば、服部のペインティングはインダストリアル・ミュージックに呼応する、インダストリアル・ペインティングとでも呼ぶべきなのかもしれません。

インダストリアル・ミュージックに限らず、70年代後半に誕生したと言われるアンビエント/ドローン/ミニマル/ノイズなどは、同時代の視覚芸術や身体芸術などと併走していたことから、アート・フォーム・ミュージックと総称されることもあるわけですが、さらに2010年代に入ってからはIDM(Intelligent Digital Music)などとも交配し、日々進化を続けています。服部憲明のペインティングは、まさにこうした同時代のアート・フォーム・ミュージックと実際に多くの共通点が見られるのです。

ISSUE AS AMBIENT / AMBIENT AS ISSUE

ここで、いくつかの新しい技法が取り入れられた服部憲明の新作に改めて目を向けてみます。まず、アクリルで作られたボックスの底面(壁側の面)つまりレイヤーの第1層には黒のアクリルメディウム。その上に白のスプレーが施され第2レイヤーが形成されています。そして、服部の代名詞ともなりつつあるレーザーカッターで表面を薄く削ることで、下層の黒を再びイメージとして召喚。そして、アクリルボックスの最上面にはUVプリントでイメージが定着されています。ここでは、スキーザーでペイントしたストロークをスキャニングする際、レーザーカッターで偏光フィルムにスリットを入れ、プリズム効果を増幅させたフィルタ(2016年のAKZIDENZ展で独立した作品として提示した)を透過させています。

もうひとつのタイプも同じくアクリルボックスです。第1層は厚くペーストされたオイルクレイ(粘土)を手仕事で彫り、この作家にしては珍しくプリミティブな表情を覗かせています。アクリルの最上面には、透明な光学フィルムが貼られていて、視点をわずかに移動させることで、カラーフィールドがスペキュラティブに変化する作品です。

現在のアート・フォーム・ミュージックは、その揺籃期に見られたような政治的なメッセージや、怒りの表出などは後退し、アーティスト自身に内在化されたイシューへの意識と、人間の知覚に対する問い、ヒストリーを俯瞰する視点などが、幾層かのレイヤーを形成していることに特徴があります。服部のペインティングにおいても、同様の構造が見られ、イメージのレイヤーが、相互に透過/反射/断絶など微妙に干渉しながら、観る者の内に新しい環境を創り出すのです。