服部憲明 個展

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2012年9月29日(土)〜11月17日(土)オープニング・レセプション:9月29日(土)18:00〜20:00

Noriaki HATTORI Solo Exhibition

Opening Reception: Saturday, September 29th, 6-8 pm

 

スプラウト・キュレーションでは、ペインター服部憲明の個展を開催いたします。大学で金融工学を学びながら、卒業後は一転、アートへと舵を切り渡英。昨年帰国した異色の経歴を持つ新人作家の初個展です。この機会にぜひご高覧下さい。

作家ステートメント

我々を取り巻く情報の根本的な性質の変化を反映させながら、ペインティングの提供する視覚経験の特異な性質(鑑賞者に内在する不安定で壊れやすい記憶や感情を結びつける)は、人の意識の内部において自己形成の土台となるのみならず、外部の出来事に対するより本能的な身体反応の機会として、現代社会の中でますます欠く事のできない、基盤的な作用となりつつあるように思える。この視覚体験の役割を軸に、ペインティングが扱うことが可能な領域をイメージ編集の体系として言語的に位置づけることで、固有に扱うべき非言語的(感性)な領域を仕分けすることに興味がある。

ネルソン・グッドマンによると、人は記号の体系による認識のバージョンを作成することにより、世界を作っている。もし複数の不連続な体系が、モードとして内部に共存していることを人が自覚するのであれば、その重なりを探索し重心を探ることは、自己の輪郭を手触りで確認していくことに等しい。つまり、経験を伴わない情報が増えることで体験が確率化していく世界の中では、 外部から承認される—既存の社会構造の一員となる—にかわり、内部で承認する—本能的なセンスで世界の重心を調整する—こそが、自分とその他の境界を検証し、自己の存在を孤立させるためのもっとも基本的な側面となりうる。その過程で問われるのは、探索の場と検証の精度である。

この重心を探る軌跡が不連続な場面をつなぎ、物語的展開として迫真感を受け入れる軸となるのであれば、ランドスケープは、世界探索の一つの物語的設定としてこそ価値がある。ペインティングが提供するものは、もはや個人の感性的な衝動を外の世界とつなげる入り口というのみならず、我々すべての中に横たわる言葉化できない混沌とした自然を感性的に探索する場であり、そこでは、いかに世界を経験するのかという言語的な問いかけは、自己の輪郭を確認する作用のきっかけとして再解釈される。

ペインティングの基になるオブジェクトのイメージは、読み取られる事を目的とした報道写真やパブリックなイメージの中の、具体的なイベント(災害、暴動、歴史的なエピソードなど)から選ばれる。視覚的なディテールは、絵画的操作(大きな単純化な塗りつぶしなど)により注意深く取り払われ、その不連続に配置されたオブジェクトの空白には、ラインやパターンが挿入される。

結果としてそこに残るのは、オブジェクトのアウトラインとライン、その組み合わせとしてのランドスケープであり、鑑賞者はもはや目の前のイメージから情報を読み取り、実在の世界へ続く情報の連鎖を逐次に追うことは困難である。この骨抜きされたランドスケープの意味的空白に置かれた統合体(有機的パターンで埋め尽くされた多重のラインとフラットな色の固まり)は、鑑賞者が歩み寄り、感性的要素を吐き捨てるコンテナ(媒体)として機能する。そこでは、リアルなものの抵抗と想像されるものの投影により、我々が日常ではあえて見なかったものが暴され、不確定性の象徴的媒体として鑑賞者とランドスケープ、さらには自分と他のものの心理的境界線を検証していく。(服部憲明)